ピンポン

古屋兎丸、望月峯太郎と並ぶ、3大天才漫画家のひとり
(とわたしは思っている)松本大洋の漫画が原作。

ペコが窪塚洋介ぇ〜!?窪塚洋介がペコぉ〜!?
ってな感じで1000パーセント窪塚、否、の気持ちで出かけたピンポン。
TVで流れる予告編の「このぉ星のっ、いっとうしょうになりたいのっ。俺は」を観るたびに
「ペコはそんなしゃべり方じゃねえよ、おめえのペコはペコじゃねえんだよっ」と鼻白みまくり。
(じゃあ、観に行くなってとこですが、試写会が当たったので)
それにしても邦画は久しぶり。クソ「模倣犯」以来でございます。

開始30分はギャグもすべりまくり。
だいたいピンポンのギャグつうのも松本大洋のあの絵柄でやるから面白いのであってやっぱ、
実写だとキツイものがありあり。
で、窪塚ペコはもちろん竹中直人もいつものあの芝居でおいおいおい、やっぱ、観るんじゃなかったよ、の後悔の連続。

が、しかーし。
最初の大会で主人公たちがぼこぼこにやられて次の大会に向けてがむしゃらに頑張り始めるころから俄然面白くなるのであります。
もう、窪塚の芝居もぜーんぜん気にならない。
いつの間にやら映画にぐんぐんと引き込まれる引き込まれる。
それは卓球で頂点を目指すそれぞれの登場人物の描写が多彩で
その誰か一人に自分を投影できるようになっているのがひとつの要因とみた。

やっぱ、いいです宮藤官九郎。
ある地点まで到達した人間の恍惚と不安。才能というものの残酷さ。
で、臭くなりがちな青春と友情ってのを説教がましくなくいい感じで描いております。
同じく彼が脚本やってる「GO」。原作では主人公の恋人がわたしのような年食った女にはイタい子(アメリに似た感じのイタさ)なのがイヤで未見なのですが、ちょっと観てみたい気になりました。

で、これは監督のおかげなのかな?
迫力のCGはもちろん。
原作と全く同じアングル、シーンが多用されていたのが非常に嬉しくありました。

好感の持てる青春スポ根映画、久しぶりにみた面白い邦画でございました。

今日のデブ

キャプテン太田役の荒川良々
映画じゃデブだけど原作では全然デブじゃないんすよ。これが。

 

 

完全犯罪クラブ

サンドラ・ブロックの超濡れ場とヌードが売りとの前評判。
んなもん、まだニコールキッドマンやジュリア・ロバーツならともかく(?)、
彼女のヌードなんてアメリカの大味のステーキを無理やり食わされるようで
ちっとも食指動かんのですけど。まあ、でも奴はアメリカで一番セクスィ〜な女性に選ばれた輩。
なにかヌードにその秘密があるのかも。せっかく見てくださいつうのだから見てやってもよろしいか、ってな感じで劇場へ。
が。
ゴルゥアー!
濡れ場なんて全然ないやんけ!
ちょっとラブシーンあったけどTシャツ着たまんま。そりゃノーブラ乳首やったけど、んなもんで納得すると思とんかい。百歩譲って、ノーブラTシャツと来たら、Tシャツ濡らして透け乳首にせんかーい!
それがお約束ちゅうもんじゃい。
え?水に濡れる状況じゃなかった?サンドラ・ブロックの家におったんやから、二人に酒でも飲ませてグラスをもったままキスでこぼさんかーい!
(あんたヌードなんてどうでもよかったん違うんかい)

んで、映画?
ゆる〜いです。

だいたいこの映画みたいに最初から犯人がわかっている場合、登場人物に強烈で人を惹きつける何かを持たせないと最後まで観客をひっぱるのはしんどいす。でもここに登場するキャラはどれも中途半端。

サンドラ・ブロックはその粗野で男のようなふるまいから同僚達に「ハイエナ」
(ハイエナはメスでも小さなペニスがついているという揶揄から)
とあだ名されてる女刑事なんだけど、そのハイエナっぷりっていうのが
相棒のベン・チャップマンのちんこを足で揉んだり、トイレに行く時にわざわざ「おしっこをする」と宣言したり、猿にかまれたりするくらいのそれのどこがハイエナやねん、のゆるゆるぶり。
で、『犯罪史に残るすべてのサイコキラーを軽々と越え誰も思いつかなかった犯罪を簡単にやってのける少年達』なーんて触れ込みの犯人のふたりも、ちょーっとサンドラ・ブロックにイタイとこつかれたら、びくびく、どきどき、のヘタレボーイズ。
サイコキラーを越えたんなら人殺したあと死体から血でもすすって余りでワインでも作ってみんかい。で、それを何も知らん処女に飲ませてほくそえまんかい。で、またその処女を・・・・うっひっひ・・・。以下自粛。
サイコなら自分の将来なんて考えずに殺人の快楽だけに身をまかさんかーい。
あんたらレクター博士の足元どころか鼻くそにも及びませんがな。


んでゆるさの極めつけは事件の決着の場が断崖絶壁つうこと。
悲しきかな「火サス」を見慣れた日本人には、いやはや、なんとも、な決着シーンでございました。

今日のデブ
犯人の高校生にいいように利用される学校の用務員レイに、
クリス・ペン
最初登場したときは一瞬、トム・サイズモアかと思いましたがその声の高さからすぐに違うということが。
で、彼を利用する高校生のライアン・ゴズリングって
チェビー・チェイスな風味。

 
 

 

ロード・トゥー・パーディション


とても正しい倫理観を全うしている映画だと思いました。
正しいというのは社会や習慣に関係なく、善悪を問うた時に自分の心が返す答えです。
この映画では神の答えとして描かれているものかもしれません。(教会や祈りのシーンが多い)
トム・ハンクスが演じる男は自分の生き方に対しずっとそれを問い続けています。
                         
                          ▼


トム・ハンクスはギャングの幹部です。
望んでそうなったわけではありません。身寄りのない彼を育ててくれたのがギャングのボス、ポール・ニューマンでした。トム・ハンクスを息子のように思い、彼の息子も孫のようにかわいがってくれます。
だからトム・ハンクスは彼の恩に報いるのが自分の務めだと思っています。
それはポール・ニューマンの忠実な右腕になることでその中には当然ながら殺しも含まれています。
しかし、彼は決して自分の仕事は正しいことではないと知っている。
だから子供たちには自分の仕事を秘密にしているし、神への祈りを欠かしません。

今までの殺しはポール・ニューマンのためでした。それがいざこざが起こり憤怒に駆られ私怨で人を殺します。妻と下の息子を殺された復讐。彼は追われる身になり、残った上の息子を守るために、逃亡の旅の最中も人を殺してゆきます。
この間の殺しは彼の家族や息子への愛に基づいた行為として、そして彼の息子に対する愛情から、また自分の命を守る為とやむを得ないことかもしれないと思えるように描かれます。(殺した相手が殺されてもしょうがないと思えるような奴だったり)
しかしどんな理由はあれ殺しは殺しです。一人の人間の人生を彼の手によって断ち切る。誰が彼にそのような権利を与えたのでしょうか。そんな権利はないということは彼が一番知っています。

よくある父子の絆を押し出した映画ならトム・ハンクスと息子がその絆を取り戻し、追っ手から逃げ失せめでたしめでたしとなるところでしょう。愛情を名分にした行為なら倫理をおかしたことはチャラにされることが多い。しかし、この映画は今までのトム・ハンクスの生き方に対する決着と精算を倫理的な判断できちんとつけています。
ジュード・ロウのように自分の悦びのために人を殺す人間にも裁きを下している。
自分への裁きをトム・ハンクスは当然のこととして受け止めます。彼は神がそのような答えを出すのを望んでいたのでしょう。それが彼の救いにもなることだから。

この映画がいいなと思うところはトム・ハンクスに裁きを下しながらも正しい倫理を貫くだけが正しい人生だと断定していないところです。今までのトム・ハンクスの生き方を全否定はしていません。
最後のその時、トム・ハンクスがしたことは、今までしてきた行為と同様、倫理的には正しくないことでしたが確実にこれからの息子の人生と魂を救うことになったのだから。

同じ仕事のトム・ハンクスとジュード・ロウに下った裁きは同じものでしたが、二人にとっては全く意味合いの違うものになっているところも、よく考えられていると思いました。


ラスト、息子があそこに行くところはみえみえでお約束だよなーと思ったりしましたが、その甘さやいつものトム・ハンクスらしい(資質が)役柄も含め、見終わった後、よかったな、と思える映画でした。

今日のデブ
そらもうなんつっても
トム・ハンクスでしょう。
二重顎はもちろん、教会で祈りを捧げる後姿のシーンでは頭と首の太さがほとんど一緒で帽子を被ったトドのようでした。

いやー、でもジュード・ロウよかったです。
キチャナイ役してもイヤミがないし。
なんつうか自分が男前とは知っているんだろうけど、それをただの肉体の造作にしか過ぎないと諦観しているようなところがいいですね。
 

 
 

トリプルX

「007」の若者編というより、「スパイキッズ」の青年版といったほうがわかりやすいかしらん。
スパイグッズ、アジト、アクションなんかがマンガチックで面白〜い。
特にヴィン・ディーゼル扮するところの主人公が人を殺さないところがいいですね。
なーーんも考えずに見られるところがまたよろし。
楽しい映画でございました。
わたしは気づかなかったのですが、一緒に行った友達が最後のカウントダウン3分は実際の3分と全く同じの時間の流れで作られていたと言っておりました。なるほど。

それよりなによりわたしはヴィン・ディーゼルに「吸い付き大賞」を捧げたいす。
え?なんのことかって?
そら映画を観りゃすぐにわかりまっす。
あたしゃあのシーンを見て
こんなものや、あんなものを連想してしまいました。可笑しいです。ほほえましいです。
が、
この映画に出てくる兵器ではある意味一番強力な武器。
だってこの強力兵器は「ニューシネマパラダイス」のクライマックスシーンにたった一枚紛れ込ませただけであの映画の愛と感動の名作としてのジャンルを全く違うジャンルへ変更させてしまう恐ろしい破壊力を持っていますもの。ぶるぶる。
全部で3箇所(はっ!それでトリプルX??)このシーンが出てまいりますが監督もこりゃ、あかんと思ったのか最後は問題の箇所が映らないように後頭部、もしくは頭頂部からのショットに切り替わっております。
MTVなんか賞あげてくれないかなー。
受けるアーシア・アルジェントがベストファイト賞?

今日のデブ
ヴィン・ディーゼルのスパイ適正のシチュエーション試験でカフェのウエイトレス役をやった女警官にMary-Pat-Green。他出演作に「ツインフォールズアイダホ」「ベストフレンズウエディング」がある模様見てみようっと。

ヴィン・ディーゼルって「アイアンジャイアント」の声やってたのね。知らなかった。

 

容疑者

ボロい映画館で観た。
館内はすえた臭い。シートに染み付いた体臭と湿ったコンクリート。雨降りのせいでいつもよりもきつく混じる便所のかほり。客の数もまばらでシートはところどころ穴が開いてる。
いやーん。むっちゃ場末ムード。だっていつものぴかぴかシネコンでは上映してないんすよ、この映画。なぜってボロ映画館とピカピカシネコンは経営母体が一緒であまり客が入りそうにない映画はボロのほうだけでひっそり上映されることになってるんす。
                            
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ロングアイランドで麻薬の売人が殺された。容疑者として敏腕刑事デ・ニーロの十数年前別れた妻の元に置きざリにした息子、ジェームス・フランコが浮かび上がる。てな感じの話。
うわー、ジェームズ・フランコ、「スパイダーマン」の時のぼえーっとした坊ちゃまぶりとはうって変わってすごい
やさぐれ感。頬もこけこけでホンモノののヤク中みたい。かっこいいぞ。
デ・ニーロ、フランシス・マクドーマントはちょっとした仕種でいろんなことを物語るいい感じの演技。うーん。大人の映画だ。

それよりなにより、ロングアイランドの寂れた景色。
今もそこを抜けられないジェームス・フランコの心情と、そこを捨て去り過去にしてしまったデ・ニーロの心の内を切に表してる。
父の愛を求めながらも現在のそして過去の自分と父を呪っているがゆえに受け入れられないフランコの複雑かつ悲しい葛藤。
過去を詫びながらしかし職務の遂行と息子への愛で揺れるデ・ニーロ。対になった感情を風景でここまで語れる映画ってここ最近あった!?
わたしは今、猛烈に魂をゆさぶられているーーー!!この映画傑作ーーーー!!ブラボー、デ・ニーロ。ブラボー、フランコ!さぞかし批評家の皆様にも大絶賛だろう!ってな感じで家路へ。

んが、しかし。ちょうど出たての週間文春の映画評。
なになに、情緒過剰?犯罪ドラマとしてはアラが目立つ?
うっそーーん。いまひとつな評価じゃん。いやいや批評家ってのはなにかといちゃもんをつけたがるもの。一般の皆様の意見はどうなの?インターネットで、と。あら?芳しくないわん。
なんでー?
だって、だってあの寂れた街の映像。ホンっト素晴らしかった。その場にいるような臨場感。ニオイまでしてきそうなくらいリアルで・・・。どういうニオイかって?すえたような、埃が淀んだ空気を吸ったような・・・ちょっとおしっこくさい・・

はっ。それって映画館に漂っていたあのニオイじゃん。
もしかしてあのバーチャルスメル(そんな言葉あるんかいな)がこの感情移入過多の原因?!

いや。でもいいのやっぱわたくし、この映画、好き。
誰がなんと言おうと支持するっす。特に70年代の映画、えーっと「グロリア」とか「アリスの恋」とかあんな感じのちょっと粒子の粗い感じの映像(技術的なことが全然わからんのが口惜しい〜)。これが個人的には自分にとっての過ぎ去った時間というものに重なってたまらんかったす。
それとジェームズ・フランコ。それはそれはよかった。君は明日の大スターだっ。


今日のデブ
一番のデブはデ・ニーロの相棒刑事役の
ジョージ・ズンザ
次はロングアイランド署長の
レオ・バーメスター、といいたいところですが、
もしかして
デ・ニーロのほうがデブってるかも。
この映画でのデ・ニーロ、彼の全出演作品中一番デブってると思うぞ。

ニオイといえば『バペットの晩餐』、あれをニオイ付で観てみたいな〜。じゅる。


ジョンQ

朝の光の差し込む寝室。
突然の物音に飛び起き、表に飛び出すデンゼル・ワシントン。
通りを運ばれてゆく妻の車。呆然とそのさまを見つめる彼。カメラはぐーーっとひいて全身を映し出します。
ンキャーーーーッ!こ、これは!
ふ、太ってるよ!デンゼル・ワシントン。後ろの席の女子二人組も「ええ〜?この人こんなに太かった〜?」と言っております(ホント)。白シャツにトランクス。白シャツの腹回りが盛り上がり、トランクスから突き出た太ももの肉のつきっぷりが、んまー
セクスィ〜。余分な肉のないピシッとしたデンゼルもステキだすがこの適度に緩んだ感じはなんつうか家庭人としての色気がむんむんだわ〜。

9歳になる息子が心臓発作で突然倒れ余命いくばくもなしの宣告を受けます。息子を助けるには心臓移植しかない。しかし会社側の不手際で高額の医療保険が下りない。東奔西走したあげく万策尽き果てたデンゼルは息子の命を救うため病院を占拠するってな感じの話です。
けっこうはらはらどきどきもするし,デンゼル・ワシントンがそりゃそりゃ子を思う父親の演技がうまいので涙したりもするのですが、「んなうまい話があるか」つうのが全体的な感想かしらん。悪そうな人は出てくるけど
(ジェームズ・ウッズとアン・ヘッシュの敏腕外科部長&冷徹病院オーナーの眉無しチーム)本当の悪人は出てこないし。でもって病院を占拠してからのデンゼル・ワシントンはむっちゃ幸運の連続。たぶん世界で一番ラッキーな男ではと思えるくらいの幸運が重なるのよねん。医療保険の問題を提起ってのがたぶんテーマだろうけど、でも冷徹病院オーナーの言ってることも敏腕外科部長の言ってることも間違ってはいないと思うけどなあ。

んまあ、内容はどうでもいいっす。なんってたってこの映画はデンゼル様を愛でながらこんな人が恋人だったらなあ〜と妄想する映画だもの。素敵だったわ〜。
次作でもこんな感じの体型でいて欲しいなあ。でもこの太りっぷりも幸せな家庭人って役作りのためなんだろうな〜。えらいわ。

今日のデブ
人質になる病院の警備員に
イーサン・サプリー。こ、この太り方はヤバいっすよ〜。マジで。お願いだからちょっとダイエットして〜。
映画の最後のほうに今年心臓発作で急逝した
テッド・デミも出てきます。まだ38なのに・・太ってたからなあ〜。だからイーサン・サプリーも気をつけて欲しい〜。
アホ署長役のレイ・リオッタ。や、痩せてすっきりしてる・・・。う、裏切ったわね(何を?)

 
 
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