ザ・リング

鈴木光司、好きじゃないんで原作読んでないっす。
松島菜々子も好きじゃないんで邦画のほうも観てません。
観たのは数年前にやっていた若いのに脱ぎっぷりがいいから好きだった三浦綾音が両性具有の役で出てたテレビドラマのバージョンだけ。それももう何年も前だから覚えてることと言ったらどうすれば呪いの連鎖から開放されるか、ってことくらい。
世間一般の評判では邦画のほうが全然恐いって話。
監督も「ザ・メキシカン」の人だしなあ。
んでもまあ、話題の映画なんでまあ、観てみるかって軽いノリで映画館へ。

うわーん。
ナメてました。すみません。
恐かったですー。
たぶん邦画のほうを観てる人は日本的な怨念とかそういう恐怖がうまく出ていなくて物足りなく感じると思う。日本版の貞子のほうがたぶんツボついた恐さだということもなんとなく想像つきます〜。
でもわたしは較べるものがないんでこっちの悪夢のような白日夢のような映像も、ものすごく恐かった。
「シャイニング」の双子とか「サスペリア」の寄宿舎の空気みたいなああいう恐さ。
あと、「振り返りざま」を使って恐い映像を見せる「間」のタメが絶妙すぎ。
それにビデオ観て殺された人間の顔。ありゃ違反ですー。

んでも何が一番恐かったって、ナオミ・ワッツの息子のエイダン。あんたが一番恐かったよ。ぶるぶる。

今日のデブ
サマラ(貞子)の父親役で
ブライアン・コックス

ナオミ・ワッツが綺麗でびっくり(マルホランド・ドライブ未見)。ニコール・キッドマンから癇症を取ったような感じ。「アザーズ」にしても整った顔立ちの女優さんの恐怖顔というのはこういうジャンルの映画にはすごく効果的だというのがわかりましたです。

 
 

 

セレンディピティ

クリスマス直前のNY。恋人へのプレゼントを買いに出かけたブルーミングデールでジョン・キューザックとケイト・ベッキンセールは偶然同じ黒い手袋に手を伸ばした。恋人がいながらお互いに惹かれあったふたりは、運を天に任せる仕掛けをする。それぞれの連絡先を書いた5ドル紙幣と古本を手元から離し(5ドルで買い物をし古本は相手の知らない古本店に売った)、再びこれを見つけることが出来れば二人は結ばれる運命だ、と。
で、数年の月日が流れるわけですが・・・。

よりによってこの二人、それまでそんな気配なんて見せもしなかったのに自分の結婚式を翌日や数ヶ月後に控えたその時に突然、この運命というやつに粘着し始めます。そんなに粘着するんならもっと早めに婚約者なんて作る前になんとかせんかい。それも婚約者に落ち度があるわけでもなく、どっちの婚約者もとりあえずいい人たち。それぞれジョン・キューザックとケイト・ベッキンセールを愛してる(たぶん)。なのにふたりは「運命」だとか「宿命」だとか「兆候」なんて台詞を連発してやりたい放題。とても正気な大人の行動とは思えましぇん。
うーむ。この「偶然」を必要以上に「必然」と捉える感じ。そしてそのまま強引に話をすすめる方法。最近どっかでみたことあったよなー、と思ったらシャマラン監督の『サイン』じゃあーりませんか。

ピーター・チェルソム監督。「ヒアマイソング」とか「マイフレンドメモリー」好きだったのにい。Mナイト・シャマランと会食中に宇宙人から同じ光線、照射された?だってジャンル違うけど映画中に流れてるテーストがほんとそっくりなんだもん。

でも恋愛というのは一種の妄想だからなあ。恋に憧れるお年頃ならうっとりきたのかなあ。こういうの素直に観るにはわたしが年をとりすぎた?いやいや、それにしても・・・。

出演者は豪華。
「ドッグショウ」の両足とも左足の男、
ユージン・レヴィ、MY Big Fat Greek Weddingのジョン・コーベット、んで「スーパースター/爆笑スター誕生計画」のモーリー・シャノン出ております。でジョン・キューザックの友人役のジェレミー・ピヴェン、彼の映画中のキャラが理想の悪親友といった感じでとてもよかったです。

もう話的にはどうでもよかったのでエンドクレジット最後まで観ずに出たんですが、
最後ジョン・キューザックの婚約者とケイトベッキンセールの婚約者がくっついてこれも「幸せな偶然(セレンディピティ)」なんてオチがあったら余計ヤだなあ。

今日のデブ
ホテルのエレベーターの中で停止ボタンを押しまくる子供の父親に
デビット・スパロー。ゴルフ打ちっぱなし場でカメラを回していたジョン・キューザックの同僚にJohon Ellison Conlee

わたしが男ならケイト・ベッキンセールよりブリジット・モナイハンのほう選ぶですよ。

 

 

プレッジ

ジャック・ニコルソンが主人公です。
彼が少女殺しの犯人を突き止める物語と思いきや。
または、刑事の職を定年退職した後、新しい人生をみつける話と思いきや。
うーむ。こういう話だったとは。

殺された少女の描いた絵を精神科医に見せに行くところや、
一緒に住むことになったロビン・ライトペンの娘に対する彼の接し方など、
観てる最中、ずーっとなんかヘン、なんかおかしいという感じがずーっと続くんですよ。
で、あのラストをみると、ああ、そういうことだったのか、とすべてが繋がるのでした。

ジャック・ニコルソンが「シャイニング」の時みたいな派手な顔をせずに淡々と演技をしてるぶん、あのラストが一段とやるせなく感じるのでした。

今日のデブ
殺された少女の地区を管轄する警察署の保安官にAdrien Dorval「シャンハイヌーン」の最初のほうに出てくる列車強盗の一人が彼でした。
ジャック・ニコルソンが買い取るガソリンスタンドの娘に
Lucy Schimidt
ジャック・ニコルソンもけっこう太ってたなあ〜。デ・ニーロといい太るお年頃かしらん。

 

 

ラストキャッスル
(イタタ電波発信中)~~

現在のところのわたしの心の恋人。ガンドルフィーニたんの出演作つうことで張り切って!出かけて参りました。
戦争の英雄でありながら囚人として軍刑務所に入れられたロバート・レッドフォードが囚人たちと団結して横暴刑務所長ガンドルフィーニに敢然と立ち向かうという話。おお〜ガンドルフィーニ、レッドフォードとタイマン張るのね、よっしゃよっしゃ楽しみだーと思いきや。くっすん。
文春の記事を読んだときからそんな予感はしていたの。まあ、この
パンフレット見て下さい。ストーリーはあってないようなもの。タイマンどころか、実際は「ロバートレッドフォードショウIN刑務所」ってな映画でございます。

軍服姿の凛々しいレッドフォードたん。雨に打たれるレッドフォードたん。仲間たちと笑う笑顔のまぶしいレッドフォードたん。そして辛い労働に歯をくいしばるレッドフォードたん。ばらばらだった囚人たちをまとめるカリスマとしてのレッドフォードたん。ファンの皆さまの胸をきゅんきゅん言わせるレッドフォードたんが一杯のアイドル映画。
それを証明しているのがレッドフォードたんの「脱ぎシーン」。べつにオールヌードってわけじゃないっすよ。ただ上着脱いで上半身見せるだけ。なのに彼が服を脱いだ瞬間にぱ〜〜とライティングがほどこされ(といってもあからさまなライティングでなくて太陽光でボディが輝くって感じ)まるで少女漫画の薔薇を背負った主人公状態。


そう。この映画でレッドフォードたんより目立つことはご法度。だからガンドルフィーニたんの最大魅力であるあの屈強な肉体をつかったバイオレンスは完全封印です。(だってそれ使うとレッドフォードより輝いちゃうんだもん〜)
せっかくの悪所長だっつうのにあのぶっとい腕でレッドフォードの首絞め上げたり、ピストルの銃口をレッドフォードの口に突っ込んでイッちゃった目で不敵に笑ったり、もしくは他の囚人たちを部屋の隅に追いつめてがんがん蹴り入れたりするのもナッシング。
いや別に暴力、受けるほうでもいいんすよ。「トゥルーロマンス」でパトリシア・アークエットにヘアスプレーで火炎放射されてるシーンや「8mm」でニコラス・ケイジに縛られた上に散々蹴られ殴られシーンのナイスリアクションでもわかるように、彼の場合、暴力シーンではウケ、タチ、どっちでも輝ける両刀使いの稀有な人(おいおい)。レッドフォードや囚人たちにぼこぼこにやらてるシーンでもいいから入れて欲しかった〜。
彼に許されたことと言えば窓辺にたたずんで、部下にゴム弾を撃たせることだけ。つまらーーん。つまらーん。ちぇっ ちぇっ ちぇっ。

なーんてレッドフォードオンステージで言っても詮無いでちゅね。

んにしてもレッドフォードたん。
刑務所を管轄してる軍上層部でガンドルフィーニの上司、デルロイ・リンドも「あいつ(ガンドル)なんてどうでもいいんだ、わたしの望みはあなた(レッドフォード)をここから出すことだ」なんて言うレッドフォード崇拝者だし他の囚人たちもほとんど最初からレッドフォード派。
別に暴動なんておこして建物に火つけたり大石投げ込んだり、はたまたヘリコプターの出動させて刑務所ぼろぼろにして暴れんでも、穏便にガンドルフィーニ悪所長を辞めさせられる方法はなんぼでもあったと思うですけど。
はは〜ん。その暴れっぷり。いい人の役ばっかりでストレス溜まってましたね〜。

今日の男前
台詞言うたびに混じるデブ特有の「こーはー」言う息の音が、ちょっぴり気になったでつよ♪
ガンドルフィーニたん。
ベレー帽とフードつきの迷彩レインコート姿に萌え萌え。

 

 

プロフェシー

「あれを見た?」妻は謎の言葉を残して息をひきとった。

新居候補を見に出かけなかったら?運転を妻にさせなかったら?
妻が亡くなった原因は自分にあると考えたリチャード・ギアがその心の苛みと死を容認できないことが原因で存在すると思い込んだ怪物がモスマンだとわたくし、思ってました。
いわゆる精神的にちょっとおかしくなってる状態?
モスマンの姿は人によって見える姿が違うとか、その人のトラウマや心理状況によって自在に形を変えるという台詞が何度も出てくるし。
モスマンがらみの話って全部「死」につながるものなので人間の持っている恐怖や不安を形にするとモスマンになるのではないかと。

で、リチャード・ギアがモスマンについて調べていくうちに
この世の中で起る事象には人間の理解を超えた大きな力が及んでいる。
きわめていえば人間なんてゴミくずのように瑣末なものにすぎず。
「人の死」=(妻の死)は必然であって人間ごときにそれを左右できるなどという考え自体がおこがましい。
だから、オレ、別の人と恋をしてもよし。前向きに生きなおすべき、と悟ってゆく話だと思いました。

なにせわたしこういうオカルト系の話ってまったく疎くて、モスマンというのもこの映画のために作られたキャラだと思っていたらアメリカのほうでは有名な都市伝説だったのね。
ちなみにモスマンは
こういう感じらしいっす。
というわけで、モスマンの目撃者インタビュー等のノンフィクション。ジョン・A・キール『プロフェシー』買ったので読んでみます。
また感想も変わるかも。

にしても今年度3大電波兆候映画「サイン」「セレンディピティ」の中ではこの「プロフェシー」が一番、まともだったように思うです。モスマンの謎を解いてゆく過程は引き込まれるものがあったし、なによりモスマンの見せ方がうまかったと思う。
リチャード・ギアと妻の乗った猛スピードの車にモスマンがぶつかるとこなんて、「サイン」のぺたぺた走る宇宙人と違ってかっこいいしウィル・パットンの奥さんがモスマンを見たという窓から空を見つめるシーンはとても幻想的。またモスマンが止まってた木の幹にぼーっとモスマンの顔が浮かび上がるとこ、ほんと不気味だったです。

今日のデブ
本作監督の
マーク・ペリントン(@隣人は静かに笑う)がバーテンダー役で。マーク・ペリントンほかにも役者として「あの頃ペニーレインと」「ザ・エージェント」等キャメロン・クロウ関係の映画に出ております。
ウイル・パットン。モスマンに取り付かれてだんだん狂ってゆく様子、魂はハイになっているのに肉体は憔悴しているという感じ。非常に鬼気迫るものがありよかったっす。


 

ショウタイム

デ・ニーロはロス市警の堅物刑事。麻薬のおとり捜査中TV局のしつこい取材に腹を立てカメラを撃った。TVプロデューザーはデ・ニーロを訴えない代わりに密着取材を要求する。警察上層部は警察のイメージダウンを恐れデ・ニーロに出演を強要する。彼とコンビを組むことになったのは俳優志望で目立ちたがりの巡査、エディ・マーフィーだった。

この映画の面白さというのは実際の警察捜査の地味さと刑事物映画のオーバーアクションのギャップを笑うというところだと思うんですけど。
ということはこの映画自体の地ストーリーと設定を現実捜査寄りにして、TV的に演出された刑事ドラマのオーバーアクションとの差を際立たせる必要があるわけで。

なのに、この映画の基本設定が笑いのネタにしてる嘘くさい演出過剰の刑事映画寄りつくりになっちゃってるんですよー。
だもんでこの落差があんまりはっきりしなくて笑えましぇん。

そもそも、警察のイメージUPのために大事な捜査にテレビの取材を同行させるということ自体おかしいっす。毎週、二人の刑事の顔がTVで放映されるっていうことは全国的に顔を知られるということで。人情交番ならまだしも麻薬捜査なんてどう考えても不可能っしょ〜。
まあ、100歩譲って密着取材を許すとしても、犯人側に捜査と気づかれないように担ぎカメラなんかじゃなく、隠しカメラを使うとか、もうちょっとなんとか現実寄りに出来る工夫もあるんじゃないのかしらん。

デ・ニーロとレネ・ルッソの関係もなんか中途半端だし。ちぇっ〜。

今日のデブ
ウィリアム・シャトナー役で演技指導してた
ウィリアム・シャトナー。やっぱもう彼は世間的には太った人ってイメージが定着しちゃったのかしらん。「マッドTV」見ていたらデブコメディアンウイル・サッソーが彼の物まねしてたし。
脂肪を筋肉と言い張る(カートマンかい)エディ・マーフィーの同僚巡査で
ケン・ハドソン・キャンベル

 
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